35歳~39歳の高齢ニートの両親について考えてみると、おそらく年齢は60代でしょう。
ちょうど定年にさしかかり、自分たちの生活を送ろうという時になっても子どもの人生に巻き込まれている現実はあまりに残酷です。
さらにこの高齢化社会では、ニート達の両親にとっての親達、ニート達にとっては祖父母にあたる世代は80代から90代も多くが健在です。
しかし介護従事者が足りない今、ニート達の親世代は自身の親を捨てるか、ニートとなった我が子を捨てるかという選択を迫られています。
ニートは介護者になれるか
それならば在宅しているニート達が介護を担えば良いのではないかと考えられますが、「子供・若者白書」の調査によるとニートである理由が家族の介護のため、という者は全体でも極わずかという状況です。
逆に求職活動を行っていないニートの約24%は求職しないことについて「特に理由はない」と回答しています。
それでもニートもいざとなれば介護を手伝うことが出来れば良いのですが、介護は精神的にも身体的にも過酷な重労働です。
いくら家族といっても、大便の処理や入浴介護は家族の日々の衰えをまざまざと見せつけられる辛い作業となるでしょうし、さらに高齢で弱々しくはなったといえ、大人の身体を抱えて運ぶのは骨が折れる仕事です。
このような極めて「労働」的な行為にすぐさま従事できる準備が彼らにあるでしょうか。
仮に祖父母世代の介護を親がやり遂げたとしても、親も年を取り、やがては介護が必要になるでしょう。
その時、身の回りの家事も出来ないニートは親、そして自分自身の面倒をどうやって見ていくのでしょうか。
社会問題としてのニート
彼らが右往左往しようが自業自得であると、言い切ってしまうのは容易いことですが、日本は憲法で最低限の文化的生活を保証しています。
それは理不尽なように思えてもニートとて例外ではありません。
家族の問題だから、自己責任だから、と放任していては後々になって行き場をなくしたニート達のための費用が私達に税金として重くのしかかってくるのです。
ニートは家族の問題ではなく、社会の問題として捉える視野が必要です。
そして彼らを介護する社会ではなく、彼らが介護できる社会を作ることが急務といえるでしょう。
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