ニートや無職をしていて絶望を感じている人も多いと思います。
どうしたら絶望から解放されるのかを考えていきましょう。
絶望を感じるのは将来に不安を感じているから
ニートや無職生活で絶望を感じている原因は、今の生活や将来に不安や恐怖を持っているからだと思います。
いくら自分を正当化したとしても問題は変わらないので、絶望を感じてしまうのは当然です。
絶望を感じている間はまだ良い
ニートや無職の現状に絶望を感じている間は、まだ危機感を持っているのでなんとかなる可能性があります。
そして良い風にとらえれば、そういう気持ちがあるという事はニートから抜け出すチャンスでもあるのです。
これが、絶望という感情が無くなり、どうでもよくなって自暴自棄になると手遅れになってしまう可能性もあります。
どうすればいいのか分かっていても行動できない
自分が今何をすれば絶望を感じなくなるのか、その解決方法が分かっていても行動できない場合も多い事でしょう。
結局の答えとしてはニートから脱出して働けば、絶望することが無くなるというのは皆分かっていることです。
けれどどうしても行動する事が出来なかったり、行動しても解決しないという場合も多いです。
そういう場合は今やろうとしている事の前段階を作る必要があると考えた方がいいでしょう。
例えば、行動する事が出来ないというのは何かしらの原因があるはずなので、その原因を特定して解決させることによって行動する事が出来る様になります。
また、行動しても解決しないのはやり方が間違っていたり、戦略を変えてみると結果も変わる可能性があります。
お笑い番組や動画を見ると絶望なんて吹き飛ぶ
根本的な解決にはなりませんが、人間笑えば一時的に絶望なんて吹き飛ぶ物です。
とにかく面白いお笑い動画でも見て爆笑したら、大抵の事はどうでもよくなります。
働いてもニートでも絶望しかない
正直な所、よっぽど良い職場に恵まれない限り働いていても絶望を感じます。
なので好きな方を選んでください。
・働いて嫌な思いをして自分の自由時間を差し出しお金を稼ぎ寿命を延ばす
・ニートを続けて将来に不安を感じながら親の資金が無くなったらこの世から消え去る
ほとんどの人はこの二択しか選択できないのです。
しかし、大抵の人は色々な理由で前者を選びます。
なぜならそこには後者には無い「希望」があるからです。
この仕事なら続けられるという仕事に出会えるという希望。
働いていれば生きていけるという希望です。
全てを親のせいにして開き直る
自分が今絶望しているのは親が自分を産んだせいだとか、育て方を間違えたせいだという風に全てを両親のせいにしてしまいましょう。
実際それは半分正解だと思います。
残りの半分は社会とか自己努力ですが、大抵は親のせいです。
なので全てを親のせいして開きなおり、「なんで自分が絶望しないといけないんだ!」と思って生きていきましょう。
色々な単発バイトをやってみる
ニートの人は世の中の全ての仕事が嫌な物だったり、自分には出来ない物だと思ってる人が多い様に感じられます。
しかしそんな事はまったくありません。
中には自分にも出来る仕事は存在するのです。
なのでそれを知るためにも色々な単発バイトを経験して自分に自信をつけていくのが良いでしょう。
単発バイトをオススメするのは、いきなり通常のバイトは難易度が高いですし、ハズレを引いた時に絶望してしまう可能性が高いからです。
しかし単発バイトならハズレを引いてもその日だけいけばいいのでなんとか乗り越えられるのです。
そして慣れてきたら通常のバイトをやってみましょう。
悲観的にならず前向きに考える
絶望してうずくまっていても仕方ないですし、自分が辛いだけです。
どうせなら前向きに考えて、行動した方が気持ち的に良いですし、面接時にも明るく振舞った方が成功率は高まります。
好きな事をやってみる
本当に色々考えてアレコレやってダメならもうどうしようも無いです。
ならいっそ自分の好きな事を仕事にしてみるのもいいかもしれません。
種類によっては自分で自営業を始めたり会社を経営することも出来ます。
どうしようもならなくても生活保護がある
色々頑張って見たものの結果が伴わないという事であれば、生活保護を受けてみるのもいいかもしれません。
もちろん、仕事が決まって就職できればそれに越した事は無いのですが、どうしようも無い事もやはり存在するのがこの世界です。
ニート経験者達に無職生活で絶望したか聞いてみた
現役ニートやニート経験者に無職生活は絶望か、絶望だったか聞いてみました。
絶望以前の問題だった
ニート生活は絶望よりも、まずはなんとかメンタルの回復が一番だと考えていて、むしろそれ以外は何も考えられませんでした。
そこまでの頭が回らないほどに、疲れていたからかもしれません。
不便さはありましたが、前にいた自分に合わない環境下からの脱出で少し救われました。
少しづつメンタルが回復してくるとそこでようやく、今後はどうしようかと言うことを考えられるようになってきます。
なので、最初の方は絶望すらありませんでした。
就職するために絶望しない
絶望はしていません。
いつ就職するかわかりませんので希望だけは持っています。
自分の道は自分で切り開くしかありませんので、しっかり自分と向きあってこれからのあるべき自分の姿を描いてすべきことを行っていち早く就職したいです。
求人はあるのであとは自分の行動力だと思います。
順調は地獄の始まり、もうダメだと思った時こそ天国の始まりだと言い聞かせ、ギリギリの状態に置かれると命のアンテナが動き出しますのでなんとかします。
社会復帰が遠のくと絶望
ニート生活を始めた頃はほとんど絶望はしていませんでした。
「どうにかなる」という気持ちがどこかにあり、遊んで暮らしていました。
これが半年過ぎ一年過ぎと社会復帰が遠のくに連れてだんだんと絶望していきました。
自分は取り残されてしまたのではないかという焦りと、同年代の友人が次々と家族を持っていくという現実を思い知らされた時に初めて人生に絶望をしました。
なぜ自分はニートをしているのか、という自問をずっとして生きていました。
お金も無いし友人とも遊べないし絶望
ニート生活をしていた当時は、その生活にかなり絶望していました。
抜け出さないといけないと思いながら、でも何もやる気が出ない自分、抜け出せない状況が続き、将来の夢や目標など全く持てなかったからです。
何かしたいなと思ってもお金がないから諦める、友人と遊びに行きたいなと思っても、お金もないし、仕事探しのことを聞かれるとストレスなので誘うことはないし、誘われてもほとんど断ってしまう。
学生時代の友人たちは、就職や結婚や出産など、どんどん新たな人生を歩んでいるのに、私は何も変わっていない、そんな自分に絶望していました。
まだ挽回できるから絶望していない
ニート生活に絶望はしていません。
まだまだ挽回するチャンスがあるからです。
現段階でニートであっても絶望はしないと思います。
これで少しでも周囲と見比べて、危機感を覚えていないのならば、絶望しかないと思います。
でも、少しでも危機感を感じて何かしらの手立てをしていたりするのは、ニートであっても意味合いが変わっていますので、絶望にはつながりません。
ただ、実際に行動に移すまでは非常に時間がかかります。
また仕事しないといけないのかと絶望
私の勤めていた会社は、私が初めて入社した会社でした。
そのため「会社とはこういうもの」という感覚があり、また再就職しても「ああいう目にあうのか」と前の会社のことをニート時代に思い出すと、もう仕事ができないのではないかと絶望していました。
人間は少しずつでも前に進んでいくのが建設的な生き方だと思います。
だからこそ、前に進めないかもしれないという感覚は、容易に絶望感を生んだのだと思います。
彼と結婚すればいいから絶望していなかった
ニート時代は絶望していたようで、未来は明るいとも思っていました。
年齢的にも仕事や社会的な事などは一切考えていなく、恋愛に夢中だったので、今思えば絶望など考えていなかったと思います。
今絶望的な生活を送っているかも知れないけど、いつか彼と結婚して奥さんになり主婦をしながら週に何度かパートでもしてとそんなことしか考えていませんでした。
まだ18歳だし私の将来はこれからと持ち前のポジティブで毎日過ごしていました。
絶望どころか諦めの境地
絶望した事は何度もあるが現在は諦めの境地になってる。
世の中を見ても仕方ない。
上を見ても仕方ないので、最近は上の奴らを利用するべきなんだと考え始めた。
毎日絶望していた
毎日絶望していました。
常にというわけではありませんが、朝起きたときも消えたいと感じたり、ふとしたことで絶望がおそってきて消えたいと感じました。
ゲームなどの好きなことをしている時は忘れることができますが、ずっと遊んでいる気力もなく、手持無沙汰になるとすぐに絶望を感じ始めて消えたくなりました。
友達が結婚したという話を人づてに聞いたときなども、自分はもう一般的な幸せな人生は歩めないのだろうなと思い絶望しました。
自宅で月に3~4万円稼いでいるので絶望はしてない
現在ニート状態ですが絶望とまではいきません。
かといって楽観もしてはいませんが、絶望しない理由としては、雇用されていなくも月収3~4万円というのが大きいです。
この3~4万円をどのように増やしていくかを考えた時に、ランサーズやクラウドワークスのライティング案件の月1万円の収入を2倍、3倍と増やそうと思いました。
なので経済的な不安に押しつぶされそうではありますが絶望はしていません。
あと1、2年はクラウドソーシングで収入を増やすことを考えています。
社会に対しては絶望している
社会に対しての絶望という意味であれば絶望していました。
今はニートを脱却して働いていますが、今でも社会に出る必要性を感じていないのが実情です。
当時は生活面においてはなぜか絶望しておらず、何とかなると思っていて、最悪ごみを拾って修理して生活すればいいかとまで考えていました。
人生終わったと絶望していた
ニート時代は将来に対し絶望していた時もありましたね。
なぜならば自分より学歴があるような人でも、リストラに遭ったり就職ができない人が多く居たからです。
あの時は、人生が終わってしまったなと感じるほど絶望感で溢れていました。
その当時周りで就職できた人は、手に何かしら職を持っている人くらいで不器用な私にとってマッチした求人が中々見つかりませんでした。
ですので、人生に対して半ば諦めていたのもそれを加担していたかもしれません。
家族などの人間関係で絶望だと思った
ニート時代の初めの頃は、あまり実感はありませんでしたが、周囲の冷ややかな目が向けられる度に私はもうこのまま、人間関係はすべて終わりだと絶望していました。
家の中だったらまだしも、正月など親戚の家に行くとなんだか自分に対して冷たい印象を持ち、自分は身内で迷惑な存在だと感じるようになりました。
もう自分を好きでいてくれる人は誰もいないと人間関係で絶望したのがとても大きいです。
今から社会に出ても出遅れてしまっているので、本当に人生が台無しだと実感しました。
周りは変わっていくのに自分は止まっている事に絶望
時間が過ぎていくということに絶望していました。
ニュースを見たり近所に新しいお店ができたり、新しい電車の路線が開通しているのを知ると暗い気分になりました。
いつまでも同じ場所に留まり続けている自分と刻々と変化し続ける世の中を対比して、自分がちっぽけな存在なのだということが感じられて、絶望に陥ってしまいます。
このままでは駄目だということは分かっているのですが、一歩を踏み出す勇気をなかなか持つことができず、そんな自分の臆病さに自己嫌悪に陥ってしまうという負のスパイラルが生まれてしまっています。
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