ニートという生き方は本当に魅力的な物なのでしょうか。
ニートは一見羨ましい生き方にも見えますが、生産性がゼロなわけなので周りの資金援助が無くなれば路頭に迷います。
病気やなんらかの仕方がない理由が原因ならどうしようもないのですが、そうでないのなら自立して生きようという意思が欠落しているだけです。
人生は1人1人いろんなモノを背負って生きていますから、今ニートという生き方をしていても、脱出して自分の生き方を見つけ出すべきです。
ニートという生き方はどういう点が良いのか
ニートは自分の為だけに生きる事が出来ます。
誰かの為に何かをするといったことはまずないのがニートです。
自分のやりたい事をやりたいように日々過ごす生き方がニートの良い所ではありますが、その為には家族から衣食住の無償提供を受けないといけないのです。
また自分の為だけに生きて行くと必ず終わりが訪れますし、人間は自分の為だけに生きるとなると、食べて寝ることぐらいしか極端にいうとやることがなくなってしまいます。
ニートという生き方はどういう点が悪いのか
ニートは自分のやりたいように好きなように生きているわけですが、全ては周りからの支援があって初めて成り立っています。
ですから何をしても達成感や充実感を得られることはまずないです。
ニートの生き方を何十年もしていれば、どんなに普通の人間でも精神的に参ってくることが考えられます。
なぜなら周りの人間は自分の力で成功し、自立して目標を叶えていくからです。
そんな姿を見ていると、自分の人生の在り方に言い様の無い虚無感を頂くようになるのです。
ニートとしての生き方に魅力はあるのか
何の苦労も無しに衣食住を手に入れて、好きなように生活できること自体は一見すれば魅力的に見えるかもしれないです。
ところが人間は考える生き物です。
ただ単に生きているだけで良いと考える生き物であれば魅力ある生き方ですが、欲望を持っているのが人間です。
生きているうちにこんな人間になってみたいという欲望を持って人生を送るのが人間です。
ですから若い間はニートの生き方は良くても、中高年にもなるとやりたいように出来ない自分の無力さに気付いた時、ニートは絶望するのです。
今の生活で生きていけるのはいつまでなのか
両親をはじめ兄弟が亡くなったり、もしくは周りから放置されればニートとしての生き方は終わりです。
国からの支援はあったとしても、健康体であるならばこれまでのような生活レベルを維持することは不可能です。
ニートの生き方を見直したいとチャレンジし失敗しても良いのです。
なぜなら失敗は後になっても取り返せますが時間は取り返せないからです。
失敗もせずに時間を過ごしたニートに挽回の余地はほとんど無いといえるでしょう。
ニートやニート経験者にニートという生き方はどうなのか聞いてみた
ニートという生き方は傍から見ると楽そうに見えますが、色々と問題もある様に見えます。
しかし実際はどうなのか、ニートやニート経験者の方々に聞いてみました。
自信もなくなるし引きこもりになりそうになる
ニートの生き方というのはあまりいいものではなかったです。
当然自信もなくなってきますし、友達とも会いたくなくなります。
バカにされるのが嫌なのでコミュニケーションもとりたくなくなってきます。
だんだんと自信がなくなって引きこもりにはなりませんでしたが、一歩間違えれば引きこもりになっていた可能性もあります。
だからもう二度とこの生活は送りたくないと心から思います。
絶対にもうニートにならないように生きていきたいと思います。
自分の命を守るため必要
ニートという生き方は、外からは甘えとかろくでなしといわれますが、今の世の中ではひとつの選択肢としてあり得る生き方だと思います。
もちろん永久にニートというわけにはいかないかもしれません。
現在は色々な事情で仕事ができなくなり自分で命を落としてしまう事を考えたり、体を壊したりするような時代です。
冬に冬眠して春を待つように、甘えられるところには甘えて英気を養う期間としてニートになって、開き直って楽しむという生き方を選ぶのは自分の守るために必要だと思います。
アリの様な存在
働かない生き方はアリだと思います。
ただこれは将来的に生活を送れる場合のみですね。
残念ながら私は両親がいなくなると生活水準を維持できないでしょうし、自分自身に関してはダメだと思います。
でもそういう心配がないならアリだと思います。
アリの世界でもそうです。
一定数働かないアリっているんですよね。
確か働きアリの2割は働かないそうです。
そのニート働きアリを除外して働くアリだけにしても、その中の二割が働かなくなるそうです。
ですので、ニートが生まれるのもそういうものじゃないかなって考えてます。
生き方は人それぞれ
人によってはそれでずっと行ける人もいるんでしょう。
生まれ付いて裕福な家庭に生まれれば、中には働く必要なんて全くないまま年をとっていける人もいるかもしれませんし。
ニートだから不幸せとも言えないかもしれませんしね。
生き方って他人が思うほど単純ではないような気がしたりすることがあります。
ただ人目からはまずよくは思われませんから、それだけはどう言い訳しても無理ですね。
そういう生き方なんだから人はそう思うよなと肯定する以外ありません。
働きたくない人は働かなくて良い
ニートの生き方を続行するには、色々条件をクリアしないと成立しないと個人的には思います。
まずは一緒に暮らしている人がいる場合、その方の理解。
自分がせっせと働かなくても生きていける環境。
世間の目や背徳感と戦い続ける心、つまり恥を忍んでいえば、私は世間の目を気にしていなかった真正のクズです。
倫理的に失格かもしれませんが、働きたい人は働いて働きたくない人は働かないでいいじゃんという考えのもと、ニートという責務を全うしておりました。
働いてからのニートなら良い
ニートの生き方は人にもよるし、自身のキャリアと状況にもよるでしょう。
私自身は働きっぱなしの15年間を経て、ニート期間がありましたが、自分へのご褒美というのか良い充電期間というのか、充実したニートライフを過ごした実感があります。
ただ、私自身は割と働き者タイプなので、20日経過したぐらいですでに退屈を感じてはいました。
ニート期間は何もしないと決めてたので、何もしませんでしたが、それが1年何もしないだったら苦痛に感じていたでしょう。
心地の良い生き方ではない
私にとってニートとしての生き方は、とても窮屈でした。
働いていないこと、社会に参加していないこと、友人との付き合いもどんどんなくなり、遊びに誘われてもお金がないから断らないといけない。
たまに誘いに乗って友人に会えば、働いていないことを指摘される。
働きたくないわけじゃない、けど働きに出る勇気が出ない。
そんな自分を情けなく感じたり、家族に申し訳ない気持ちになり、とにかく心地の良い生き方ではありませんでした。
人生を豊かにしてくれた
ニートにはいろんな生き方があると思いますので一概に言うことはできませんが、自分に関して言う限り、自分の人生を豊かにしてくれたと思います。
仕事をしていないと自由に使えるお金は限られますが、お金がなくても楽しめる方法を沢山見つけることが出来ました。
例えば、図書館や無料の催し物などにアンテナを張り、仕事をしていたら気付けなかった可能性に気付かせてくれました。
もちろん、お金があれば出来そうなことを断念したことも少なくありませんが、それはニートでなければ見つけられなかったでしょう。
フリーランスで収入のあるニートなら良い
ニートであっても収入のあるニートなら自分のお金で旅行に行くのもよし、お買い物するのも良しなので、生き方としては最高です。
収入がなく、ただだらだらしているだけのニートはきついのはないでしょうか。
精神的にも自分は何をしているんだろうと自責の念に追われそうですし、社会的な体裁も悪かったりして、どこか嫌な気持ちで過ごす羽目になりかねません。
ただ何かを学び、仕事にして利益を得ている場合は、自由な時間や生き方ができるのでむしろ良いと思います。
人生の意味を考える時間や家族了承なら批判されるべきではない
場合によると思いますが、ニートという生き方は別に無しだとは思いません。
少し話が変わりますが、人類は、様々な活動を分担することによって反映してきました。
一人一人が自分のできることをやることで助け合ってきたことを考えると、ニートは人類の営みにとって邪魔であると言わざる負えません。
しかし、やはり場合によると思います。
私の様に一時的に人生の意味を考える時間としてニート生活をしていた人や、実家が相当に裕福で家族了承のもとでニートをしているような人は、良いとまで言わなくても決して批判されるべきものでもないと思います。
ありえないし腹が立つ
今考えるとあり得ないです。
いい年をしたニートの話やニートの方に会うと腹が立ちますし、常識外れと思っている自分がいます。
人間は働かないと気持ちが病むと思います。
生き方は人それぞれですが、人間らしく生きるということが大切なんだとニート経験から感じました。
朝太陽と共に行動して、外を歩き、人と接する、夜はしっかりと休み、たまの休日に遊んだり夜更かししたり、これが生きることなんだなと感じました。
ニートである前に、人間なので人間らしい生き方がいいと思います。
ニートも一つの生き方
生き方は人次第かと。
俺もこのまま緩やかに消える事を感じたが他の人も偉い人も電通の人も過労で亡くなっているのを見て、亡くなる時は人によって様々で若くても亡くなる人は亡くなるし大手企業でも過労で亡くなる。
そう思うと早い遅い次第でニートも一つの生き方なのかもと思った。
社会的に終わってても面接で300社落ちても面接がない仕事を貰って生きてる人がいるから、そういう意味では良いだろうな。
単価が安いのは最初は仕方ないが何かしら成長させない企業は去るだろうなと感じてる。
ニートは悪ではなく必然的な生き方
ニートという生き方は日本では褒められた物ではないと思います。
しかし、中国やスペインでも多くの無職の若者がいます。
このように世界的にニートが増えている現在の状況では、ニートが決して悪というわけではなく、社会の情勢から必然的に生まれた層ともいえなくありません。
過酷で希望のない労働環境に絶望し、自分を守るためにニートになるということは、生物としてある意味当然の行動なのかもしれないと思います。
小動物や植物のなかには、危険な環境で身を守り安全になるとまた活動しだすものがいますが、それと似ていると思います。
ニートは人間性が問われる
ニートの生き方には、人間性が問われると思いました。
自分はニートですが、反社会的な行動を起こしていないので、ニートの中では真っ当な生き方をしていると思います。
反対にニートの生き方で嫌悪感を抱いたのは、報道で知るような実家住まいの無職中年が起こす傷害事件でした。
例えば、元農水省事務次官の息子熊沢英一郎氏。
彼のようなニートの生き方は、最悪だと思いました。
一軒家に住めるのは、両親のおかげと感謝を抱くことができれば、父親は犯罪者にならずに済んだのにと思っています。
それぞれの理由があるので何も思わない
生き方としては個人の自由ですのでニートという生き方についてどうも思わないですし、それぞれ理由がありニートをしているので何も思わないです。
ただ、干渉したくないという気持ちはあります。
どういった人物であるかというのが今一つニートというだけでは伝わらないので生き方としてみた場合、まじめだったが裏切られてニートになったとか、始めから不真面目で首になりニートになったのではかなり人物像が異なります。
なのでニートというだけでどう思うかについてはどうも思わないです。
色んな生き方があってもいい
最近、新聞やネットなどで、「人生に疲れた」や「会社に行きたくない」と言う言葉よく目にするようになりました。
その分だけ、疲弊している現代人が多いなと実感させられますね。
睡眠する時間を削られるまで、働いていたらそう思ってしまうのは不思議ではありません。
ですので、身体や精神に限界が来そうになったら会社は辞めてもいいと思っています。
会社だけが人生の全てでは無いし、ましてや不健康な身体なら休養を取るべきだと思いますね。
外国では、例え30歳過ぎても世界を放浪して生きる生き方が普通であったりもします。
人生で回り道してから就職する人も珍しくありません。
人それぞれに色んな生き方があってもいいのではと思いますね。
他人の目が気になるし劣等感を持つ
ニートの生き方は、社会的に全く順応することができず、家の中に閉じこもってゲームだとか漫画ばっかり読んでいる印象があります。
確かに自分の趣味に没頭して好きなことだけをやっていけば幸せな人生かもしれませんが、人の目やお金の問題などが常に付きまとうので大変です。
ニートとして生きるということは、本当に他人に対する評価が最悪になるので、私はできるだけ早くニートから脱出した方が良いと思います。
とにかく劣等感を持ってしまう可能性が高い生き方ですよ。
ニートに「なってしまった」か「なる事を決めた」かで変わる
その人の目標によって変わると思います。
僕は社会復帰できないことに対して焦りを感じていますが、そもそも社会復帰を目標とせず、ニートになりたくてなった人もいると思います。
例えば、ニートになって小説を書いてどこかの出版社に応募することを考えている人とか、ブログを書いて一発当てようと考えている人、手縫いのぬいぐるみなどをネットを通じて販売することを夢見ている人など、色んなことを思って一時的にニートになる人もいるでしょう。
その人たちにとってニートとは、意図的に選択した生き方の一つだと思います。
つまりニートとは、ある人にとっては「なってしまった」という消極的な選択肢である一方で、別の人にとっては「なることを決めた」という積極的な選択肢でもあるという、多様な解釈が可能な生き方だと思います。
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